「そんなにがんばらなくてもいいよ」に対する違和感
僕はよく「がんばります」という言葉を使う。
何か仕事を依頼されたとき、とりあえず「がんばりまーす」と伝える。
ちなみに、断るときは「がんばらない」ので、「がんばります」とは伝えない。
「がんばります」は所詮、「YES」の返事の代わりでしかない。
それは通常運転であり、制限速度60㎞/hになるようにアクセルを踏むことである。
「がんばる」は当たり前のことであり、引き受けたからには一生懸命やる。
一生懸命やれないなら引き受けない。
「がんばる」はそんな意味で使う。
僕らのようなタイプをβタイプと呼んでいる。
毎日多忙を極めている僕に、仕事の依頼が来る。
「これをやってほしい」
「あれをやってほしい」
僕はいつものように「わかりました。がんばりまーす」と伝える。
すると時折、「いつもがんばってるから、そんなにがんばらなくてもいいよ」と温かい言葉をいただく。
ただ、それはたぶん伝えた本人には「温かい言葉」なのだろうけれど、僕には「意味のわからない言葉」なのである。
仕事である以上「がんばる」は当たり前のことなので、「がんばらなくてもいい」と言われると、「えっ?手を抜け!ってことですか?」と思えてしまう。
納期を遅らせるか、誤字脱字を混ぜておくか、受講者が起こり出すような講座をするか。
「がんばらなくてもいい」の意味が理解できなくて困惑する。
そんなわけで、僕とはタイプの異なる人に対しては「そんなにがんばらなくてもいいからね」と伝えるし、僕と同じタイプの人には「がんばってね」と伝える。
売上のあがらない新人営業マンが褒められた方法
先日、ある保険営業の方と話をした。
彼は僕とは異なるαタイプの人である。
彼は若いころ、まったく契約が取れない営業マンだったそうだ。
そこで、毎日のようにお客様に営業電話をかけ続けた。
1ヶ月経つと、職場内で最もテレアポの電話をかけた営業マンになった。
しかし、残念ながら契約は少ししか取れなかったそうである。
さあ、おさらいしよう。
誰よりも多く営業電話をかけたけれど
誰よりも契約が取れなかった。
あなたはどう評価するだろうか?
当時の店舗責任者は、そんな彼をたいそう褒めたのである。
「よくがんばって電話をかけた。誰よりも電話をかけた。素晴らしいことだ!」と称賛したのだ。
彼は当時を述懐し、「あの上司のおかげで今の自分があります」と言った。
今ではすっかりトップ営業マンになった彼を育てたのは、間違いなく上司の一言だったわけだ。
βタイプの僕らは、こんなとき何を思うだろう?
「その電話、意味なくね?」と思ってしまうのである。
10本営業電話をかけようが、100本営業電話をかけようが、契約がゼロだったら意味ないじゃん!
そう思ってしまう。
もしここで上司が彼に、「誰よりも電話をかけたのに契約取れないってどういうことよ?」なんて責めたらどうだろう?
きっと彼は自分は営業に向いていないと考え、離職を選んだはずである。
こういうとき、上司がどのタイプか?なんて話をすることもあるのだが、問題の本質はそこではない。
目の前の人の努力や成長をきちんと評価し、適切にねぎらうことができたことが、彼の成長を促したのだろう。
リーダーとして大変優れたマネジメント力を発揮されたと言える。
営業はいずれうまくなる。
ヒットの打ち方がわかれば、きっとヒットが打てる。
どれだけ断られようが打席に立ち続けた、誰よりも打席に立ち続けた、そのことをきちんと評価してくれたわけだ。
僕が見捨てられない社長になるために
αタイプはプロセスをとても大切にする。
僕の仕事を応援してくれている経営者さんたちは、なぜかαタイプばかりである。
僕は会社が目指す理想の姿に向かって、毎日ひたすら歩みを進めている。
だが、成果は出ていない。
会社としては回っていても、目指しているところに向かっている実感が乏しいので、βタイプである僕は、僕のことをあまり評価していない。
これは「自己肯定感が低い」という話ではなく、「このままじゃダメだ」的な経営者としての評価である。
一方、取締役の皆さんが僕を見捨てないのは、きちんとプロセスを歩んでいるからである(…と勝手に解釈している)
会議をしていると取締役チームが他社さんについて、「目標に対して行動していない」「言ってることとやってることがバラバラ」というニュアンスの話をされることが多い。
成果や結果は時の運、流れに乗ったり、良い話が転がり込んできたりと、「本人の努力」だけでは語れないところがある。
しかし、その成果や結果を手に入れるための行動、つまりプロセスをきちんと歩んでいるかどうか、が大事なのである。
したがって、そのプロセスを歩んでいないとき、αタイプをその人を見限るし、その成果を得られていないとき、βタイプも見限るのである。
よくよく考えればプロセスを歩まなければ、成果も得られないわけで、それはもう相手が何タイプだろうが、離れていくのは必然なのである。
人が離れて行ったときこそ、自分を見つめ直すタイミングであることを追記しておく。
「結果(ゴール)」か「課程(プロセス)」か
βタイプとαタイプを語るとき、「結果(ゴール)」か「課程(プロセス)」かという話題になる。
βタイプは結果しか見ていないから冷たいし、αタイプはプロセスの評価ばかり求めるからぬるいし、みたいな話だ。
この理解は間違っていると僕は思っている。
「どちらを大事にしているか」という話ではない。
どちらも大事なのである。
βタイプは結果につながるプロセスであるかを大事にしている。
テレアポの電話を100本かけたことで結果につながるならば、そのプロセスは素晴らしいし、結果につながらないならば、そのプロセスは間違っていたことになる。
テレアポではない営業方法に変更してもいいし、営業のスキルアップを試みてもいい。
結果をもとにプロセスを見直すことが大事である。
一方、αタイプはプロセスから結果を見ている。
「テレアポ電話をかけまくる」というプロセスそのものを評価している。
そのプロセスを経なければ、成果につながらないからである。
例えばの話、100本かけて1本の契約を取れた成約率1%の人と、10本の電話で1本の契約を取れた成約率10%の人がいたとする。
成約率1%の人がスキルアップして成約率5%になれば契約は5本取れる。
成約率10%の人が契約を5本取るためには成約率を40%もアップして成約率50%にしなければならない。
だからまず、電話をかけられたことを評価するのである。
スキルはあとでいくらでも伸ばせるからである。
βタイプがプロセスを無視しているわけではないように、αタイプも成果を無視しているわけではない。
どちらに重きを置いているかというと、プロセスに重きを置いているのだよ、という話なのである。
物語には「起承転結」というテンプレートが存在する。
αタイプは物語を「起」から見ていて、βタイプは物語を「結」から見ているに過ぎない。
成果はプロセスの結果であるからどちらも大事であり、「結果(ゴール)」か「課程(プロセス)」と論じるのは意味のないことである。
アクセルをベタ踏みすることががんばることなのか
そんなわけで、冒頭の話に戻るわけだけど、βタイプにとって「がんばります」は制限速度いっぱいの時速60kmでアクセルを踏むことである。
「結果(ゴール)」が明確で、そのための「課程(プロセス)」がハッキリしているならば、あとは普通にアクセルを踏めばゴールに辿り着く。
カーナビに目的地を設定して到着予定時刻が12:00と出たならば、普通に走れば12:00に到着するのである。
これを「がんばる」と表現しているに過ぎない。
なので、「12:00までに到着してください」という仕事だとして、12:00までに到着できそうにないのなら、仕事は断ることになる。
βタイプが「無理ですね」というのは、そんなときである。
このプロセスでは、その結果にならない。
そんなときはお断りをする。
がんばれば結果に辿り着くならば徹夜してでもがんばるけれど、どう足掻いても結果に辿り着くのが無理ならばお断りする。
どんなに仲が良くても、わりとさらっと「あー、無理ですねー」と返答するのである。
一方、αタイプには「課程(プロセス)」だけが用意されている。
がんばらなくてもいいならば、アクセルは時速40kmぐらいで軽く踏むし、「がんばらなきゃ!」と思うとアクセルをベタ踏みして時速120kmで爆走することになる。
頼まれたら断らない。
「結果(ゴール)」は見えていなくても、「課程(プロセス)」だけわかれば、まず引き受ける。
結局できない、なんてこともあるのだけれど、良い人なのでとりあえずお受けする。
「結果が伴わないαタイプを見て、βタイプは「だったら引き受けるなよ」と思うわけだ。
一方、「あー、無理ですねー」とさらっと答えるβタイプを見て、αタイプは「冷たいな」と思うのである。
さて、あなたの職場にはどんなタイプの人たちがいるだろうか。
ところで、ワールドカップ日本代表はαタイプが17人、βタイプが2人のチームであり、監督もαタイプである。
予選突破の難しい「死の組」であろうと、やるべきことが見えていれば戦える。
結果はどうあれ、チームのためにアクセルをベタ踏みで走り続ける。
そんなチームなのかもしれない。