「学校の先生」というポジションは、初期設定で「尊敬されやすいポジション」と言えます。
昔のように、「先生だから尊敬される」という時代ではありません。
でも、ポジション的には、とても尊敬を集めやすいところにいます。
まず、多くの子どもたちにとって相談する対象だからです。
小学生にとって担任の先生は校内で関わりのある唯一の大人です。
中学校は入れ替わり立ち替わりさまざまな先生が来ますが、それでも関わりが深い大人の1人であることに変わりはありません。
また、基本的に「学校の先生」は発信する側にいて、児童生徒は受信する側です。
自分の思いを毎日発信し、それに耳を傾け続けるわけですから、よほど人間的に尊敬に値しない人物でない限り子どもたちは「尊敬しやすい」構造になっています。
それなのに、それなのに。
信頼されない先生がいるのはなぜか。
このテーマから「信頼される」「信頼されない」について論じたいと思います。
おまいう案件になってない?
ネットスラングに「おまいう」という言葉があります。
「お前が言うな!」を略した若者言葉です。
信頼を失う最も簡単な方法はこの「おまいう」案件を連発することです。
いつも授業に遅れてくる先生がいました。
チャイムがなっても全然教室に先生が来ないんですね。
それで、学級委員が職員室に行って、「先生、授業です」と言いに行く。
先生は一言、「あぁ、ごめん、ごめん」と言って教室に向かう。
いつも5分、10分と遅れて授業が始まるわけです。
それなのにこの先生、妙に校則に厳しいのです。
朝、遅刻してくる生徒がいると、怒鳴るんですね。
「時間を守りなさい!」って。
子どもたち、心の中で「チッ!」って思うんです。
こんな「おまいう」を繰り返していると、どんどん信頼を失っていきます。
では、なぜ「おまいう案件」になってしまうのでしょうか。
答えは簡単です。
自分ができないことを他者に要求するからです。
僕はよく、「自分ができることを他者もできると思うな」と言われます。
「僕ができることなんだから、あなたもできるでしょ?」というスタンスです。
一定数、こういう人がいます。
仕事ができるタイプに多いようです。
ただ、このタイプの人たちは自分ができないことを他者に求めたりはしません。
自分ができることを他者に求めますが、自分ができないことは他者に求めないのです。
ですから、このタイプの人は他者に厳しいですが、信頼されます。
厳しくても信頼されるタイプとは、このような人物です。
反対に、信頼されない人物は、「おまいう案件」の人たちです。
彼らは、自分ができないことを人に求めます。
自分に甘く、他者に厳しいのです。
でも、このお話、勘違いしないでください。
何も「自分に厳しくしなさい」と言っているわけではないのです。
自分ができていないことを他者に要求すると、他者から信頼されませんよ、という話なのです。
他者に要求していることを、果たして自分はできているだろうか?
考えるべきはこの一点です。
赤信号を渡りながら「信号を守りましょう」と言っても説得力はゼロです。
その点では、他者への要求を増やすほど、自分に対するハードルを上げることになります。